2024/03/07
プリツカー賞といってもご存じに方も少ないと思います。山本理顕さんがプリツカー賞を受賞されました。建築界のノーベル賞とも言われる権威ある賞です。 過去に日本人で受賞したのは、 丹下健三、槇 文彦、安藤忠雄、妹島和世・西沢立衛(ペア)、伊東豊雄、坂茂、磯崎新。山本さんは9人目の日本人ということになります。 山本さん設計の代表的建築が横須賀美術館です。大学の修士論文で横須賀美術館をテーマのひとつしたため、山本さんに話をうかがいました。指導教員の鈴木博之教授が山本さんと親しく、紹介していただきました。もう、14年も前です。 横須賀美術館は本当に気持ちのいい空間をつくり出している建物です。近々、訪れたいと思っています。
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2023/08/24
日帰りで水戸に。目的のひとつが先月開館した「水戸市民会館」をみること。東日本大震災で被災し、新たに作られた施設で7月に開館。 わざわざみに出かけたのは、設計が伊東豊雄さんだから。先月の日経新聞「私の履歴書」は伊東豊雄さんが執筆し、ここで 「北側に磯崎新さん設計の『水戸芸術館』、南側に国道をはさんで京成百貨店が隣接する。市民会館自体がこれらをつなぐ位置にあり、街の一部となるようデザインした。」(7月31日 日経新聞) と書いています。水戸の中心部に位置しています。 建物の外観からみた印象は「ふつうの建物だなあ」。これまで「せんだいメディアテーク」、「座・高円寺」などユニークな公共建築を設計してきた伊東豊雄の仕事とはちょっと違う。どうしてなんだろう。 水戸市民会館の特徴は伊東さん曰く、 「最大の特徴は高さ約19メートルの『やぐら広場』。一辺およそ60〜70センチの角材を柱と梁として組み上げた巨大な屋内広場である。」(日経新聞) と。 確かに建物の中に入ると「伊東豊雄さんの仕事だなあ」と感じます。 設計に際し、いろいろ制約があったのかも。 3つの多目的ホールがあり、コンサートも行われます。実際、コンサートなどでホールの座席に座ってみれば、良さがわかるのでしょう。機会があれば、利用したいです。
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2020/12/20
Casa Brutusは、アート系と建築の特集号に時々興味をひかれます。最新号の「新・建築を巡る旅。」も面白そうなので、買ってしまいました。専門誌はともかく、建築を真正面から特集する雑誌は、意外と少ないのではと思います。 本来のオリンピックイヤーだった2020年にこの雑誌が取り上げるのは、新旧つのオリンピック競技場、国立競技場と国立代々木競技場。櫻井翔を起用しての大特集です。まあ、建物だけ見せるだけと、地味な記事にしかならないから、この手は有効です。 大特集はともかく、面白かったのは「Break Through スター建築家の”出世作”」。安藤忠雄、谷口吉生、隈研吾らの出世作が紹介されていて、それぞれに建築家の思想が垣間見られて、興味深いです。 また「建築とデザインの力で変えるまったく新しい公共トイレ」という特集は、変わった視点での記事です。渋谷区のトイレマップまでついてます。トイレを写真に撮るのも面白いかも、と感じました。 東京にいるひとつの楽しみは、建築をみることかもしれません。
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2015/12/23
マスメディアで大々的に報じられていますが、新国立競技場は大成建設・梓設計・建築家の隈研吾氏で構成するチームの案に決まりました。設計者としては隈研吾氏と伊東豊雄氏の決戦となりましたが、「公表されたJSCの審査委員会(委員長=村上周三東京大名誉教授)の審査結果は、A案は610点、B案は602点」と接戦でした。
隈氏、伊東氏どちらの案が採用されていも素晴らしい競技場ができると思っていました。心情的には伊東さん案を採用して欲しいとところでしたが、隈さんの木を多用した設計にも惹かれます。
隈研吾作品はミュージムが多いです。都内では根津美術館、サントリー美術館が有名です。どちらも木の特徴を生かした柔らかさと力強さが備わった快適な空間を作り出された建築です。
また、栃木県には珂川町馬頭広重美術館があります。平成12年に完成した歌川広重のコレクションを中心としたミュージアムです。宇都宮駅からクルマで1時間ほどかかる場所にあり、相当の美術館好きでないと足を運ばないでしょう。昨年、訪問しましたが 、隈作品らしい素晴らしい空間でした。
4年後、どんな新国立競技場が出来上がるのか。完成が楽しみです。
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2015/12/15
白紙撤回後、動向が気になっていた新国立競技場の建設案ですが、昨日2つの案が公表されました。整備主体の日本スポーツ振興センターが設計・施工に応募した2陣営の「技術提案書」をホームページ で公表したものです。技術提案書は膨大で素人がみても理解はできにくいもの。透明性を高めるという意図でしょうが、どれほど効果(?)があるのやら。
気になるのは2つの案の設計者は誰かということ。事前に応募を表明したゼネコンと設計者の組み合わせも一部で報道されていました。日刊スポーツの電子版では「公表された2案は建築家・隈研吾氏と伊東豊雄氏ら2グループのものとされている」と報道されています。
伊東豊雄さんは白紙撤回になったコンペに応募されて、最終選考に残っていました。隈研吾さんは前回のコンペには応募資格がなかったのでおそらく応募されなかったのでしょう。白紙撤回になったコンペではプリツカー賞の受賞歴が応募資格になっていて、伊東さんは受賞していますが、隈さんは受賞していません。
2案はどちらも「木の特徴をいかした内容」(日経新聞)で、どちらが伊東作なんだろう。隈さんは木をつかった設計作品が多いですが、伊東さんの設計作品で木を使った建物が思いつかないので。
いずれにせよ、お二人とも日本を代表する世界的建築家。素晴らしい新国立競技場ができるでしょう。
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2015/06/06
新国立競技場は、オリンピックまでにちゃんとできあがるのか。ホントに心配になってきました。先日、開閉式屋根をオリンピック後に作ることにして、また8万のうち1万5000席を仮設スタンドにする案が示され、物議を醸しました。
そして昨日の日経新聞は、新国立の整備費を国は2500億円程度で検討していると報じています。当初は1300億円の見積と報じられていましたから、大幅アップです。どうしてここまで膨れるのでしょう。
日経新聞の記事は
「ネックとなっているのはアーチ状の巨大な屋根。国内の施設では例がなく、整備費が膨らむ一因になっているという」
と書いています。
新国立は英国在住のザハ・ハディッドの設計。建築費はともかく、巨大な屋根はザハデザインの目玉。この屋根をなくすわけにはいかないでしょう。しかし昨日、槙文彦氏ら建築家グループは開閉式屋根をなくすなど構造を抜本的に見直す代替案を提言しました。現行案の開閉式屋根をやめ、この屋根を支える「キールアーチ」と呼ばれる2本の弓状の構造物(長さ約370メートル、高さ70メートル)を建設せず、屋根は客席のみを覆う形にした代替案を提案しました。これにより、大幅なコスト削減(1000億円以上)と工期の短縮になるとしています。
また日刊スポーツは
「同グループは、コンペで選ばれた英建築家ザハ・ハディド氏をデザイン監修から外すことも提案した」
と報じています。
新国立競技場の行方は混沌としています。
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2014/12/17
一昨日ニュースで報じられた黒川紀章建築事務所の倒産にはいささか複雑な気持ちになります。負債額12億円と決して小さくない数字で民事再生法の申請をしたと報じられています。
築設計事務所は素人考えだと仕入、在庫のリスクはないと思われるので、負債はどのようにして膨らんだのか。事務所の従業員数は14人とのことなので人件費、家賃などが原因かな、とも思います。
そもそも世界的に著名な建築家が没後も建築設計事務所を維持し続けられるのか、という疑問があります。建築の設計は個人の才能によるところが大きい。黒川紀章のような天才肌のアーキテクトは、その技術を後継者に伝えることは難しそうです。跡を継いだ息子さんも大変だったと思います。
黒川紀章だけでなく著名建築家の名前を冠した建築設計事務所はあるのか、ちょっと調べてみたら、建築家のフルネームをつけた事務所は少数派のようです。例えば黒川の師匠・丹下健三は丹下都市建築設計。モダニズムの前川國男は前川建築設計事務所。建築に明るい人なら分かりますが、一般人には分からないようになってますね。
その中で黒川紀章建築事務所は故黒川紀章のネームバリューというか、スター性に頼っていたのかもしれません。
建設業界は景気がいいともききますが、一流設計事務所はその波に乗れなかったようです。
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2014/05/14
東京オリンピックまであと6年余り。大会のメイン会場である国立競技場の建築案が揺れています。昨日報じられたニューズにはちょっと驚きました。世界的な建築家である伊東豊雄さんが競技場を新築するのではなく、現競技場を改修する案を発表しました。
国立競技場は昨年デザインコンペでイギリス在住の建築家ザハ・ハディッド案が選ばれています。この案に対して昨年来建築コスト、維持費がかかり過ぎると批判がでていました。デザインコンペ は建築家・安藤忠雄が審査委員長をつとめ、最終候補11作品には伊東豊雄さん、SANAA、槙文彦さんといった日本の建築家も残りました。しかし、最終的にはザハ・ハディッドのデザインが選ばれたのです。
コンペで結果がでた案に対して、敢えて改修案を提示した伊藤さんの真意はどこにあるのか。負けたのに異議申し立てをする意図は何なのか。何か深い思いがあるのでしょう。
コンペの結果が覆ることはないと思いますが、新国立競技場の基本設計は遅れそうです。あと6年で、ホントにできるのか。すごく心配です。
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2013/07/23
歌舞伎座に行ってきました。やっとチケットがとれたので、「七月花形歌舞伎」の加賀見山再岩藤を見てきました。実は母親のお伴なんですが。開場時間の少し前に店が並ぶ地下1階のフロアーにつくと、かなりの人です。着物で着飾った女性も目立ちます。
館内に入ると、そこは歌舞伎座ワールド。モダンな設計を予想していたのですが、極めてオーソドックスなつくりです。当然ですが、国立劇場のように広くなく、歌舞伎の専用劇場としてはこのくらいがほどよいスペースなのでしょう。
歌舞伎座は三菱地所設計と隈研吾の共同設計です。隈研吾といえば、根津美術館、サントリー美術館の設計が思い浮かびます。伝統に敬意を払いながらも、今の時代における和を表現した建築をつくる技は、隈研吾が第一人者ではないでしょうか。歌舞伎座の席に座ってみて、落ち着く感覚は、サントリー美術館、根津美術館にいる感覚と同じです。まさに隈研吾の建築です。
観覧料が高いのでめったに行けませんが、なんとか年に1回くらいはいきたいものです。いい体験をしました。
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2011/12/16
森美術館で「メタボリズムの未来都市展」が開催されています。もうご覧になった人も多いと思いますが、充実した企画展です(この感想を書いていなかったことを思い出さしました)。この展覧会の関連企画として(森美術館ではパブリックプログラムと呼んでいます)、トークセッションがいくつか開催されています。昨日、その第3回として「危機に瀕する建築ドキュメント 建築アーカイブ設立の可能性を探る」があり、参加してきました。修士課程のときお世話になった先生がスピーカーの一人として登壇されるからです。
世界で活躍する建築家も多く、日本の建築には注目が集まっています。この日本の建築を培ってきた建築資料を保存する組織、体制が日本にはほとんどありません。これに対し、フランスでは建築資料をアーカイブする体制ができています。例えばポンピドゥー・センターでは建築資料をデジタルアーカイブしています。その中には丹下健三、磯崎新など日本の建築家の作品資料もあります。建築アーカイブがいわば海外流出しているわけです。
トークセッションではこの事実をきっかけに、日本の建築アーカイブの重要性と可能性を探って、話が展開します。いくつも勉強になることがあったのですが、頭に残ったのはお世話になった先生の話。
「以前、ロンドンの古書店でいわれたことがあります。古書店にある資料はオリジナルの他にリプリント(コピー)があるのでしょう? と尋ねたら、『オリジナルはインスピレーション、リプリントはインフォメーション』と言われたのを思い出しました」
現代ではアーカイブといえば複写、すなわちデジタルアーカイブに結びつけます。電子化すれば、事は解決、と思ってしまいます。オリジナルのもつ意味、重要性をともすると軽視しがちかもしれない。
アーカイブということの難しさ、そして建築においてのアーカイブとは、を考えさせられた貴重な内容でした。
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2011/05/17
大震災の後、建築に関わる人たちは何をしてきたのか。その活動お知ることができる「建築関連団体東日本大震災報告会」が昨日開催され、参加してきました。この報告会には建築に関連する9団体が「建築関連団体災害対策連絡会」を作り、そこに属する各団体からの発表と、意見交換が行われました。
9団体とは建築設備技術者協会、日本建設業連合会、日本建築家協会、日本建築学会、日本建築構造技術者協会、日本建築士会連合会、日本建築士事務所協会連合会、日本都市計画家協会、日本都市計画学会。建築に関わる団体ってこれだけあるんですね。私のような一般人(?)からは、建築に関わるのは建築家、ゼネコンなどの建設会社、それに大工さんなどの職人くらいしかみえてませんでした。構造、設備も重要なことだと認識しました。
震災後、建築関係者には多くの課題があります。被災状況の調査、分析。復興に向けた街の計画作り。そして至急に対応しなければいけない仮設住宅の建設。建築関係者の連携が必要とされる中、建築関連団体災害対策連絡会の活動は重要だと感じました。
建築関連団体東日本大震災報告会
―建築関連団体の連携した活動に向けて―
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2011/02/02
先週のクローズアップ現代「建築が人をつなぐ」で建築家ユニットSANAA(妹島和世+西沢立衛)にインタビューした内容が放映されていました。クローズアップ現代とはいえ、NHK総合のゴールデンタイムに建築家を取り上げることは、少々驚きでした。
昨日の朝日新聞文化欄に建築家を取り上げた記事がありました。題して「建築家、海外で跳ぶ 高まる評価、少ない国内建設」。近年、海外での仕事が増えている日本の建築家に焦点をあて、その一方で日本国内での設計が多くない事実を指摘しています。記事であげられた例を紹介すると、
槇文彦 MITメディアラボ(2009年、米) ワールドトレードセンター タワー4(米)
磯崎新 冬季五輪ホッケースタジアム(05年、伊) 中央美術学院美術館(08年、中)
伊東豊雄 バルセロナ見本市会場・パビリオンなど(07年、スペイン) 台中メトロポリタンオペラハウス(台湾)
安藤忠雄 美術館・プンタ・デラ・ドガーナ(09年、伊) 上海保利大劇場(中)
坂茂 ナインブリッジズ・ゴルフクラブハウス(10年、韓) アスペン・アートミュージアム(米)
隈研吾 三里屯ビレッジ南区(08年、中) FRAC現代美術センター(仏)
SANAA ニューミュージアム(07年、米) ヒュンダイカードコンサートホール(韓)
と、ずいぶんたくさんあります。記事によれば、
「坂さんは主な仕事の9割ほどが海外、伊東さんも8割が、磯崎さんは「ほぼすべて」が海外という。隈さんで6割、槇さんや安藤さんでも約半分が海外という」
国内では「箱物」という言葉で語られるように、公共施設の建築には厳しい批判があり、新しい建物は作られにくくなっています。また、国内の公共建築では、入札、プロポーザル、コンペなどなんらかの選定方法で選ばれることが基本ですが、海外では指名での仕事もあるといいます。
ただ責任は行政側にだけあるのではなく、建築家にも問題はあったと伊東豊雄さんは言います。
「日本では、建築を社会や市民が考える風土が十分に育っていないのに、建築家がデザインの抽象性や理論を訴えても、社会から遊離するだけ。もっと社会に入っていく論理をつくらないと」
建築家って、語ること好きですよね。
日本の建築家が海外で活躍するのはいいことです。これからは、ベテランに加えて、若い世代も活躍して欲しいと思います。
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2010/11/13
昨日、上野の東京藝術大学まで出かけてきました。建築家の山本理顕さんの講演会を聞くためです。修士論文で山本さんの設計された横須賀美術館を研究対象としていて、論文作成のため参考にさせていただくためです。
残念ながら横須賀美術館のことは話されなかったのですが、有意義なお話をうかがうことができ、とても勉強になりました。2時間にわたる講演会だったのですが、はじめの1時間は山本さんのお話、その後の藝大の先生と山本さんのトークセッションが1時間ありました。藝大の元倉教授、ヨコミゾ准教授(建築家ヨコミゾマコトさんです)、それに非常勤講師のうえださんと山本さんの、これも大変興味深い内容でした。
参加していたのは大半が若い学生でしたが、100人以上はいたでしょう。この講演会は藝大の建築学科主催のもの。藝大の建築科があるなんて、あんまり知られていないではないでしょうか。この講演会は藝大建築学科のウェブサイトに掲載されてます。私は山本さんのウエブサイトで見つけましたが。もっと宣伝してもいいのに、と思いました。こんな講演会が無料できけるなんて、ほんと贅沢です。藝大もいいことやってます。
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2010/04/29
すでに新聞で報道されていますが、赤坂プリンスホテル(いまはグランドプリンスホテル赤坂)が2011年3月で営業終了というニュースに、ちょっと驚きました。ニュースによれば高層の新館も、売却とか、転用するのではなく取り壊す予定だとか。建物が老朽化がひとつの理由といいますが、開業は1983年。まだ30年経っていません。
例えば、帝国ホテル・インペリアルタワーの開業は、同じ1983年。ニューオータニは1964年、ホテルオークラは1962年と、赤坂プリンスホテルは引退する歳ではありません。改修とかちゃんとメンテナンスされていなかったのでしょうか。
この赤プリ新館、設計は丹下健三。丹下にとって数少ないホテル作品です。そもそもホテルを有名建築家が設計することは少ないかもしれません。ホテルに求められる実用性と建築家の実用性は両立しないのでしょう(安藤忠雄設計のホテルとかきいたことないし)。
ともあれ、丹下作品が取り壊されるのは残念です。でも、あんな高層ビル、ホテル以外に再利用できないかもしれません。赤坂にいくと、すっかり風景が変わっているのに気付きます。赤坂の象徴だった赤プリの廃業で、赤坂はまた違う表情になっていきそうです。
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2010/03/28
昨日、東京都現代美術館まででかけたので、ふと思いついて東京スカイツリーをみてきました。知人が、建築として面白いから、見にいくといいですよ、とすすめてくれたのですが、やっと行ってきました。現美の最寄り駅清澄白河から3つめが押上。スカイツリーはそこに建てられています。押上、とはきいてましたが、ほんと駅のそばなのですね。地下から地上にでると、、目の前にそびえ立ってます。
公式WEBサイトによれば、現在の高さは328メートル。東京タワーが333メールですから、その高さまであと少し。
公式WEBもいろんな情報が載っていて楽しいのですが、そこからリンクははられてる、「ほぼ日刊イトイ新聞」の「東京スカイツリー ここから見えるよMAP」 も面白いです。
ちょっと驚いたのは、見物に人の多さ。カメラを向けてる人、たくさんいます。
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2010/02/27
先日、用事があって目黒区役所にいくことに。通常のこと、たとえば住民票をとるとか、印鑑証明をもらうとかは住区センターで済んでしまうので、区役所に行くのは初めてです。この建物は、旧千代田生命の本社ビルだったもので、設計は村野藤吾。村野は文化勲章を受賞したほどの有名建築家で、有楽町の読売会館(現在のビックカメラ、旧そごう)、日比谷の日本生命ビル(日生劇場)、高輪プリンスホテルなど数多くの建物を設計しています。
千代田生命が破綻した後、目黒区が建物を買い取って、区役所として整備して2003年から使用しています。建物の外観は、格子状の枠が特徴的な堂々とした風情があります。
ただ中に入ってみると、通路がまっすぐにつながっていないなど、構造が入り組んでいます。役所の建物はやはり機能重視の設計がいいと思うのですが、ここは一階に和室があるなど、思想として、役所としては設計されていません。千代田生命といういわば会社の本社としては適していたのでしょうが、区役所としてはちょっと不向きな感じがします。
いくらくらいで買ったのでしょう。新築するよりは安かったのでしょうが、長期的にみて高い買い物でなければいいのですが。
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2010/01/31
世田谷美術館の設計者である内井昭蔵の回顧展ともいうべき「内井昭蔵の思想と建築 自然の秩序を建築に」展が、世田谷美術館で開催されています。実は、内井昭蔵という建築家を、この展覧会までよく知りませんでした。
内井昭蔵は、教会の建築を手がけた河村伊蔵が祖父、建築家の内井進という、建築家一家に生まれました。内井は、特に公共施設において多くの作品を残しています。この展覧会で初めて知ったのですが、皇居・吹上御苑の御所(1993年)を設計が内井昭蔵です。また、美術館・博物館の設計が多いことも知りました。世田谷美術館、一宮市博物館、浦添市美術館、石川県七尾美術館、大分市美術館など設計した建物は全国にあります。
「建築の中に自然を回復し、その秩序から生じる装飾を建築に取り込みました。建築が人間にとって親しみやすい存在であることを願い、人間と建築が馴染みあう空間を求めた建築家であったといえましょう」(本展のチラシより)
と表現されている内井の建築は、外見は重厚さがありながら、中に入ると優しさを感じさせるのではないでしょうか。少なくとも、世田谷美術館は、そうです。
本展ではいつもは遮光されているガラス窓が開放され、明るい室内での展示となっています。内井昭蔵という建築家の歩みを知る充実した企画です。
ガラス窓から外が見える展示室は、珍しい。
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2009/09/30
今週号の『週刊 東洋経済』の特集は「東京の実力」。10月2日(明後日か)は2016年オリンピックの開催地が決まる運命の日。それに合わせた賭けのような特集です。メインは東京オリンピックが実現するか、が特集ですが、それ以外にも面白い記事がいくつかありました。
特に興味をひかれたのは、「ビジネスパーソンが知っておくべき東京建物 10選」です。武蔵野美術大学教授・松葉一清さんが選んだ東京10の建物とは。それは次の通りです。
1.根津美術館 2.三菱一号館広場 3.国立新美術館 4.東京国際フォーラム 5.Think Park 6.東急病院 7.神保町花月 8.都営大江戸線飯田橋駅 9.ふじようちえん 10.サンストリート
知っている建物が少ないです。また、ここはどうして入らないの、とかいろいろ不平不満などありそうですが、まあひとつの例とでも考えればいいのでしょうか。
本文によると、
「アニメや漫画よりずっと早い時期から、都市東京そのものが、逆説的ではあっても『クール』と目されてきたのである」
そうです。
東京の建物、グローバルスタンダードな観点ではどの程度の評価なんですかね。少なくとも、街並みの統一感のなさは世界でも上位には入りそうですが(笑)。
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2009/09/14
今年の5月に、大学院の先生のお誘いで、丸の内の三菱一号館の見学をさせていただいた。これは、(そのときにも書きましたが )、明治27年(1894年)にジョサイア・コンドルの設計でつくられた建物を復元したものです。
この三菱一号館が今月オープンし、竣工記念として「一丁目倫敦と丸の内スタイル展」と題された展覧会が開催されています。昨日、この展覧会の関連イベントとしてシンポジウム「三菱一号館と丸の内の魅力」が有り、参加してきました。このシンポジウムでは、ジョサイア・コンドルが日本の建築に与えた影響を、専門家たちがそれぞれの視点で語ってくれました。
ジョサイヤ・コンドルという建築家は、日本では建築の専門家以外には知られていないでしょう。シンポジウムをきいていて分かったのは、設計のスタイル、デザイン面より、建築技法、工法の点で日本の建築に少なくない影響を与えたということです。また、家具のデザインも手がけていて、自身が設計した鹿鳴館の椅子、テーブルなどの家具のデザインもしていました。
115年前、コンドルによって三菱一号館がつくられた頃、東京の街はどんな表情をしていたか。およそ想像もつきませんが、当時の写真をみると、独特なスタイルを持っていたようにも感じます。新しい三菱一号館は、丸の内にどんな表情を加えるのでしょうか。
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