野茂英雄が、革命へと向かったとき
1990年だった。西武球場に近鉄バファローズの試合をみにいった。私設応援団の人から赤字に白く「K」と書かれたボードを渡され、応援したことをいまでも覚えている。
1995年、野茂英雄がほぼ前例のなかったアメリカ大リーグへ挑戦する。「アメリカで通用する能力などない」という大方の声に反し、野茂は勝ち星を重ね、奪三振を積み上げ、トルネード旋風を大リーグにおこした。この1995年を革命という喜瀬雅則の『革命前夜 追憶の近鉄バファローズ1994』。長年近鉄の番記者であった著者は、当時の近鉄バファローズの選手、関係者への取材で、革命前夜1994年の混沌を描き出す。
ここに登場するかつての猛牛戦士たち。なんとも懐かしい。全部、記憶の奥にしまってあった選手の名前だ(笑)。四番で打点王をとった石井浩郎(現・参議院議員)、メジャーでも活躍した吉井理人 (現・東北楽天ゴールデンイーグルス監督)、エースだった阿波野秀幸など多くの選手が革命前夜を語っている。
本書で紙数をさかれているのが、当時監督だった鈴木啓示と野茂の軋轢。投手として絶対エースだった鈴木はみずからの体験から、野茂に投げ込み、走り込むことを要求した。対する野茂はこれに対して、ブルペンに入っても30球ほどしか投げなかったことが鈴木には耐えがたいものだった。
実は野茂は独自のトレーニングをしていた。女房役だった光山英和(現・千葉ロッテマリーンズヘッドコーチ)は、野茂はグランドに来る前に練習を終えている。ウエイトトレーニングだけでなく、ランニングもこなしていた、と証言している。
野茂は日本人大リーガーにとってパイオニアとしばしば表現される。野茂と同時代、ゼーブ王だった赤堀元之はこういっている。
「先駆者って言いますけど、それ以上だと思うんです。すべてが、絶対に変わってますよね。だから今、これだけいっぱい、メジャーにいく日本人が出てきているわけじゃないですか。単なる先駆者じゃないですね。全然違います」
革命前夜の1994年、大谷翔平はこの年に生まれた。
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