愛と悲しみのボレロ:パフォームの道程
改めて傑作だと感じました。Blu-ray版を手に入れた『愛と悲しみのボレロ』をみました。監督はクロード・ルルーシュ、音楽はフランシス・レイ、ミッシェル・ルグラン。3時間を超える大作。
この映画を体系的に批評する力は私にはありません。以下、公開当時の映画パンフレットにある荻昌弘の批評「パフォームの道程」を参考にしながら、断片的に感じたことを書きます。
ルルーシュの映像が特徴的です。荻は”流し撮り”のファンタジストと表現します。カメラの流動性、自由な構図、感情に寄り添うカメラワークで、長い時間をカット割りせず、流し撮りでの映像がいくつも使われています。
ラストのボレロが奏でられるバレエシーン。魂が揺さぶられる場面です。この序章ともいえるひとつ前のシーンがあります。
フランス人アンヌは、大戦時に夫とともにナチスドイツにより強制収容所に送られる。途中、生後間もない男の子を、希望を託し、途中の線路に置き去り。戦争が終わり、アンヌは手を尽くし子供を探すが、見つからない。やがてすべての記憶をなくし、精神病院へ。成人し、社会的に成功した子供(ロベール・ブラ)は奇跡的なことで母親のいる病院を突きとめ、再会する。
この場面、ルルーシュはロングで、それも二人の後ろからカメラをまわします。カットを割らず、3分にもわたる長いシーンです。静かに「ボレロ」が流れます。ここだけでもすごい映像だと思います。
荻は、ルルーシュは「作品のうえで、ほんらい、”達成”という主題にあまり意を用いない」といいます。
バレエシーンはユニセフと赤十字が主催するチャリティコンサート。映画のエンドロールで赤十字トラックが走る映像が流されます。これを踏まえ、荻はこう書いています。少々長いですが、引用します。
「たとえば今、アフリカの、インドの、南米の巨億の人類が、ユニセフや赤十字を通してもとめ望んでいる“地球の優しさ”とは、この映画の次元のものではない。ルルーシュは、赤十字トラックの長蛇の列を俯瞰しながら、当然、それを最も切実に知りきっている。しかし同時に、その長い長い道のりのパイプを徐々に徐々に埋めてゆくパワーは、非常に迂遠だが結局人間同志の、こういうパフォームの姿勢から出発する以外ないことをも。
達成はありえない。そこにあるのは、道程、だけである。」
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