萩田光雄の世界
もう昨年のことになりますが、日経新聞文化欄に<「プレイバックPart2」「少女A」萩田光雄の編曲マジック>が掲載されていました。昭和歌謡に親しんだ私にとって萩田光雄は特別な存在です。
「昭和の歌謡曲の大半は分業制で作られた。作詞家が書いた歌詞に、作曲家がメロディーを付ける。歌手が歌う前に編曲家(アレンジャー)の仕事が介在する。伴奏や間奏、イントロを考えるのが編曲家の役割だ。楽曲の印象は編曲次第でガラリと変わる。その重要性は令和になっても変わっていない」(2021年12月13日 日経新聞)
この記事に先だって発売されたCD5枚に92曲を収めた作品集「音の魔術師 作編曲家・萩田光雄の世界」。これを買ってしていました。やっと聴き終えましたが、萩田光雄の幅広い仕事に驚かされます。
作品集に収録されていますが、「シクラメンのかほり」は印象深い1曲です。小椋佳が布施明に提供した楽曲ですが、小椋はシングルのB面曲としていました。これをA面にし、萩田光雄の編曲でシングルとして発表。曲は大ヒットし、日本レコード大賞と日本歌謡大賞を受賞します。萩田のアランジがなければ、ここまでの歴史に残る曲にはなっていなかったでしょう。
記事で萩田はこう語っています。
「80年代までの歌謡曲は予算を気にせず、伸び伸びと制作できました。優秀なミュージシャンをたくさん起用し、人海戦術で作っていたわけです。あのころのような曲がどうやったら作れるのかとよく尋ねられますが、景気が良くなるしかないかな」
もうあの時代は戻ってこないのでしょうか。
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