なかにし礼さん死去
戦後の歌謡曲を代表する作詞家は、永六輔、阿久悠、なかにし礼の3人だと勝手に思い込んでいました。だとすれば、松本隆はどうのなの。阿木燿子がいるだろう、なんて気にもなってやや自信がないですが(苦笑)。
なかにし礼が亡くなりました。昭和に生きた巨星が、また逝きました。今日の日経新聞には「昭和の時代 彩る歌謡曲」として記事があり、ここで、
「なかにし礼さんは昭和という時代を歌にして歌謡曲黄金期を彩った才人だった。インタビューで漏らした『歌謡曲は昭和そのものだった』との言葉が印象に残っている」
と書かれています。
「時には娼婦のように」なんて歌は、今の時代に書かれたら非難を浴び、受け入れられないでしょう。昭和だったからこそ生まれた歌です。
記事は更にこう書かれています。
「『歌謡曲は日本文学の1つのジャンルであり、自分は万葉集からつらなる伝統の中にいると明確に意識していた』と語ったのも忘れられない。和歌や歌舞伎など、勉強量はすさまじかった」
努力の結果としての素敵な歌詞があったのです。
昭和は遠くなってしまいましたが、なかにし礼の歌は残ります。
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