ロータリーエンジンの父
ロータリーエンジンの開発を主導し、「ロータリーエンジンの父」と呼ばれた山本健一さんがなくなりました。いまは製造されていないロータリーエンジンですが、開発当時は実用化が難しく、「夢のエンジン」と呼ばれていたといいます。
日経新聞電子版に1992年に日経産業新聞に掲載された山本さんが語った「個性こそすべて」 と題された記事が再掲されています。山本さんは技術者ですが、マツダの社長もつとめました。石油ショックのあと、燃費の悪いロータリーエンジンを搭載したクルマは売れなくなりました。会社の業績がどんどん悪化します。
<ロータリーエンジンなんかやるから会社の経営がおかしくなった、あの連中が元凶だという批判が社内から噴き出てきた。私は戦犯扱いされ、四面楚歌の気分をいやというほど味わうことになった>
山本さんはメインバンクの住友銀行に出向き、
<「自分は責任を取らなければいかんと思っています」と告げた。>
これに対応した担当常務だった巽外夫さん(後の頭取)
<ところが巽さんの口から出てきたのは「山本さん、これは技術の問題ではなくて経営の問題なのではないですか」という言葉だった>
そして巽さんは
<「企業の社会的責任や信用ということを考えれば、ロータリーエンジンを簡単にやめることもできないでしょう。問題はこれからいかにエンジンを改良し、どういう商品を出すかです」とも話された。>
巽外夫さんもかなりの人物です。
その後、マツダはRX-7を世に出します。
新型ロータリーエンジン車の開発も噂されています。マツダの飽くなき挑戦は続いています。
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