萩本欽一、私の履歴書
日経新聞朝刊の定番連載「私の履歴書」、今月は欽ちゃんこと萩本欽一です。芸人が私の履歴書に登場するのは珍しいのではと思います。今月1日から連載が始まって15日。いよいよ、昨日はコント55号の相棒・坂上二郎と組んでコントを始めたことが綴られていました。
これまでの半月の連載では幼い頃から中学、高校、そしてお笑いの世界に入る経緯が詳しく語られています。萩本欽一の半生で、これまで広く知られていなかったり、はじめて明かされることも多々書かれているのではないでしょうか。
カメラ会社の社長だった父親のことも詳しく述べられています。そして事業が失敗し、喜劇役者、お笑い芸人、コメディアンになってお金をいっぱい稼ぎ、お母さんを幸せする。芸人萩本欽一の原点が語られます。
でも、萩本欽一も若い頃は苦労しました。浅草の東洋劇場でコメディアン修業をはじめて3か月たったころ、演出の緑川士朗から
「長年この仕事をしてるとな、良くなるコメディアンは1週間で分かる。光るものがあるんだ。将来伸びる奴も1カ月もすればキラッとしたものが見えてくるんだ」。
「ところが、おまえは3カ月たってもコメディアンの雰囲気が漂ってこないよな。欽坊、自分でそう思わないか?」。
とクビ宣言。
しかし、その時は先輩の池信一がとりなしてくれ、なんとか東洋座に残ることができました。なんと天才萩本欽一がこの世に出られないところでした。
希代の芸人・萩本欽一が綴る私の履歴書。後半の話が楽しみです。
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