文化装置としての資生堂
ヘアリキッドとかヘアトニックといった整髪料はなぜか資生堂のものを使い続けています(最近はあまり使いませんが)。昔、整髪料を買いいったとき、「花椿」という冊子をもらってくるのが楽しみだった記憶があります。あの頃の花椿はなにか特別な香りがあったのでしょう。
『文化装置としての資生堂 1872-1945』(和田博文著)は、1872年から1945年までの間に、資生堂がどのように文化と関わったかを丹念にまとめた一冊です。現在の資生堂も、文化に力を入れている企業というイメージがありますが、本書では昭和20年以前の資生堂と文化に絞り、細かく検証しています。約80年ほどの間、資生堂は化粧品の製造、販売をする会社という枠をこえた様々な活動をしてきました。
事業の核となる化粧品。商業美術というものをつくった意匠部の仕事。アート展示に貢献した資生堂ギャラリー。銀ブラとグルメという楽しみを提供した資生堂パーラー。この時代には資生堂という会社は輝き、時代をリードしてたんのでしょう。
また、資生堂は「資生堂月報」「資生堂グラフ」「花椿」というメディアを出してきました。花椿はいまでもありますが、私のとって昔のような魅力は感じられません。戦後の資生堂と文化はどうなのだろう。昔のように輝いているのでしょうか。
女性とこの時代の文化が資生堂という「文化装置」を通して語られています。厖大な資料を参照して書かれた力作です。
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コメント
みこったさん
資生堂の対応、なかなかいい話ですね。伝統、歴史のしがらみとどう折り合いを付けていくか、この企業のこれからに注目をしています。
投稿: 自由なランナー | 2011/06/24 08:18
日本にいた頃は見向きもしなかったのに、今イタリアにいて、品質に信用がおけることはもとより、懐かしさも手伝って資生堂のファンデーションを愛用しています。数年前、パリの空港のコスメショップでいつも使っているタイプを買って、帰宅後開封したら使用済みの別商品のサンプルが入っていました。レシートにあったメールアドレスにメールしても梨のつぶて。世界を股にかける(?)クレーマーと思われるかもと心配しつつ、従業員ぐるみでの犯罪では?と不信が募り、思い切って銀座本社のお客様相談室にメールしたら、すぐに代品+他の数種の商品をフランスからイタリアへDHLで送ってくれました。こんな一面はやはり、日本の超一流の会社ならではの対応ですよね。ありがたいと同時に、日本人としての誇りにさえ思えました。こういう体質があるからこそ、長年に渡って文化的な貢献もできるのだなあと納得した次第です。
投稿: みこった | 2011/06/22 06:29