努力の天才
昨日の新聞で報じられましたが、女子マラソンの先駆者である永田七恵さんが亡くなりました。53歳。旧姓佐々木七恵さんの名前は、私も記憶に残っています。オリンピックで女子マラソンが初採用された1984年のロス五輪代表となり、19位の成績を残しました。
朝日新聞の記事によれば、永田さんの走ることへの努力は凄まじいものがありました。記事にこうあります。
「素質に恵まれていなかったが、それを補うだけの努力をする情熱をもっていた」
永田さんは岩手県で教師をしていたとき、名伯楽といわれたエスビー監督の中村清氏の指導を受けます。そのために、毎週日曜に岩手から東京まで行きました。当時は東北新幹線はまだ開業しておらず、夜行列車で往復しました。生前、マラソンに取り組む理由をこう言っていたといいます。
「走ることだけは、わたしを裏切らない。努力すれば努力するだけ返ってくるんです」
ロス五輪を共に走った増田明美さんは、
「努力の天才」
と評します。
女性がフルマラソンを走ること自体が常識はずれと思われた時代からマラソンに取り組んだ永田さん。その言葉からは多くのメッセージは伝えられています。
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