三菱一号館を見学してきました
大学院で履修している授業の先生のお誘いで、丸の内にある「三菱一号館」を見学してきました。この建物は、明治27年(1894年)に竣工した丸の内で最初のオフィスビルを復元したものです。最初の三菱一号館の設計はイギリス人建築家のジョサイヤ・コンドル。コンドルは日本政府に雇われ、綱町三井倶楽部、三菱関東閣(旧岩崎弥之助高輪邸)などを設計しました。この三菱一号館は昭和43年(1968年)に取り壊されました。この建物の復元が進み、先月竣工しました。
建物は赤煉瓦作りの3階建て。高層ビルが建ち並ぶ丸の内には、ちょっと異質の存在です。三菱地所のかたが建物の建築過程を説明してくれたのですが、いくつか驚くことがありました。建物には230万個の煉瓦が使われているのですが、この煉瓦は日本では製造できるところがなく、中国で生産しました。また、建物に使われている石の装飾加工も、日本には職人がおらず、これも中国人の職人が加工を行いました。made in Chinaといえば良くないイメージを持ちがちですが、日本が失った技術が中国にはあります。ちょっと考えさせられる事実です。
ともあれ、明治27年の竣工当時をできうる限り復元しようとした建物は、魅力ある姿に仕上がっています。この建物、美術館として使われ、来年4月には三菱一号館美術館として誕生します。オフィスビルばかりの丸の内に、ミュージアムができます。一年後が楽しみです。
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コメント
ミャ~オさん
はじめまして。
時代の流れと、再開発。興味深いテーマです。今は、古い建築は残そうとする流れもあり、それは評価できます。ただ、復元は、やはり復元で、昔のものとは違うわけで、そこをどう評価するかは、判断が分かれるところでしょう。
投稿: 自由なランナー | 2009/06/03 21:30
はじめまして、
古い歴史の図鑑や中学or高校生向けの日本史の教科書の一部に明治期を代表する建造物として写真入りで紹介された三菱東九号館[初代一号館が1918年に地各番号制定により改称]が再開発の波にもまれて一旦は消えてしまったのに、再々開発を機にほぼ完全な形態で丸ごと再建成った事はとても嬉しいことです。
しかしながら、何年か先に図鑑や教科書に二代目一号館の写真が載るとなるとやや複雑な感じはしますけど、多くの歴史的建造物はいったん姿を消しながらも後になって再建されている経緯を考えたらそれはよしとしていいのではないかなと思いますけど、いかがなものでしょうか。
それでは、この辺で失礼します。
投稿: ミャ~オ | 2009/06/01 01:57