「休講」という感覚
昨日は7時限(20時10分)から授業があるので、急いで食事(マックです)をしてから、青山へ。教室へいくと、明かりがついていない。「教室が変更になったのかな」と校舎一階の掲示板を見てみると「休講」の案内が。ショックです。せっかく土砂降りの雨のなか、来たのに……。
昔、大学生の頃は、「休講」嬉しかったものです。掲示板で「休講」掲示をみつけると「さー、雀荘だ」という輩のいました(私は麻雀やりませんが)。そういえば、大学の先生って休講多いんですね。この休講を知ったときの感覚は、ちょっと不思議なものです。会社で働いていると、このような気持ちになることはないのでは。会議が延期になっても、こんな感覚とは違います。
ただ、いま大学院生しては、休講は嬉しいものではないかもしれません。一回、授業を損したという現実的な感覚があります。先週受けた授業で先生が、「○月○日は休講です」と言ったら、学生の一人が「休講するなら、補講してくれなくては困ります」と主張していました。そんなんですよね。社会人は貴重な時間をさいて大学で学んでいるので、簡単に休講してもらっては困るわけです。私も、もう少し貪欲にならなければいけないようです。
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コメント
さいのめさん
最近はwebで休講案内もでるのですが、これはなかったです。休講は、先生の責任ですね。
投稿: 自由なランナー | 2009/04/23 07:52
時間をかけて学校に行って休講だと頭に来るよね。そう、大学のときもこの休講が何度かあって、足が遠のいていったんだったよな。そんな無駄な時間を過ごせないってね。生徒の責任に学校はしがちだけど、悪は教師じゃないのかな。
投稿: さいのめ | 2009/04/22 15:06