セルビアのナイーブ・アート
知り合いの方から、多摩美術大学美術館の招待券をいただいたので、出かけてきました。開催されているのは「セルビアのナイーブ・アート」。大変失礼なことなのですが、セルビアの正しい位置さえ知らない私です。旧ユーゴスラビア連邦から2006年に独立した新しい国ですね。正しくはセルビア共和国、場所はここ。
セルビアのコヴァチッツァという村に独学で活動するアーティスト達がいます。彼らの作品はナイーブ・アートと呼ばれています。
「セルビアのナイーブ・アート」では、このコヴァチッツァで活動したアーティストの作品約70点が展示されています。明るい色彩、遠近法にとらわれないような平面的な表現、風景や生活を中心とする描写などが特徴といっていいのでしょうか。あたたかい作品が多い印象です。あたかもアンリー・ルソー作品を見ているかのようです。
あまり見る機会がないナイーブ・アート作品に触れた貴重な企画展でした。なお、会期は残念ながら今日まです。
なお、ナイーブ・アートの定義は、きっちりと定まっていないようです。artscapeに記述されている開設を引用させてもらいます。
西欧の伝統的な美術教育・美術表現に関する技術訓練を、全く、あるいはほとんど受けていないためにかえって素朴な力強さや独創性が評価されるような作品を指し、「素朴派」とも訳されるが、プリミティヴ・アート同様その定義が含むカテゴリーはかなりの混在状態にある。
オックスフォードの20世紀美術辞典はナイーヴ・アートを作者が個人的な楽しみのために通常単独で制作するものであり、子供や精神病者の作品、民族・部族美術は含めないとしているが、これらをすべてナイーヴ・アートとして行なった大型展覧会も存在する。すなわち、「プリミティヴさ」や「ナイーヴさ」というカテゴライズはあくまで美術に関する西欧の伝統的知に対する未開・素朴(無知)を意味している。
「素朴派」の確立は、19世紀末のパリでH・ルソーのようなアンデパンダン展(無審査展)出品作家に対し、ルノワールやピサロといったプロの画家、独の評論家W・ウーデが「素朴な画家」「聖なる心の画家 peintres du coeur-sacré」といった称号を付して喧伝したことに始まる。アメリカでは独立以後20世紀初頭まで独学の職業画家が多く、素朴派と定義される例は少ないがグランマ・モーゼスの名が知られている。
なお、ユーゴスラヴィアを中心とする東欧では20年代より職業画家が地方に入って素朴画家を発掘・奨励する動きが活発だったが、これらは60年代後半に表現の固定化へと陥ることとなった。「西欧・現代の無垢」としてのナイーヴ・アート(とその信奉)が持つ危うさがそこに存在する。
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コメント
ayakaさん
日本だと…、山下清、違うかな?
投稿: 自由なランナー | 2008/09/15 16:19
素朴派ってなんだかいい響きですね~。
日本にもそういう画家がいるのでしょうか?
投稿: ayaka | 2008/09/14 17:49