走ることと、村上春樹
東京の朝は台風一過、気持ちのいい青空が広がっています。今朝、久しぶりに長い時間を走りました。LSD(LONG SLOW DISTANCE)ですが、90分。こんな長い時間走ったのは、何年ぶりか(笑)。田園調布、多摩川の駅から、多摩川にでて、二子玉川経由で帰ってきました。距離にすると、14キロくらいでしょうか(不正確なiPod+Nike+では、16.2キロでしたが)。
昨日、村上春樹の『走ることについて語るときに僕の語ること』を読み終えました。しかし、変な日本語のタイトルの本ですが、面白く読ませてもらいました。村上が走ることを語ることによって、村上自身のことを書いています。これを村上は「僕という人間について(ある程度)正直に書くことでもあった」と表現しています。また、エッセイではなく「メモワール」のようなもの、とも書いています。
私は熱心な村上の読者ではありません。『ノルウェイの森』以降の小説を読んでいるミーハーな読者で、むしろエッセイのほうが好きです。
この本は村上ファンであっても、ランニングしない人はよくわからない部分もあるだろうし、村上の本を読んだことがない人でも、逆にランナーであれば、村上の「哲学」みたいなところは気にはなりながらも、面白く読めると思います。
村上は以前もエッセイで走ることについて、軽い文章で書いていました。しかし、この本は走りについて正面から取り組んでいる力作です。特に、年齢を重ねていくことと、自分自身との折り合いの付け方みたいなところに、とても興味をひかれました。
ランナーなら誰でも納得できる一文があったので、引用させてもらいます。
もし、忙しいというだけで走るのをやめたら、間違いなく一生走れなくなってしまう。走り続けるための理由はほんの少ししかないけれど、走るのをやめるための理由なら大型トラックいっぱいぶんあるからだ。
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コメント
Shimaさん
こんにちは。
村上さんの文章、エッセイだと読みやすくて、味わいがありますね。この本では、かまり村上の人となりが感じられて面白いです。
投稿: 自由なランナー | 2007/11/06 08:03
昨日、村上春樹の『走ることについて語るときに僕の語ること』を購入し、半分ほど読み進めています。読みやすい文章ですよね。「喫茶店やってたんだーこの人」なんて感激しながら読んでます。読み終えて走り出す自分はまだ想像できませんが・・・(笑)。今日の全日本大学駅伝のモグス(山学)かっこいーなんてレベルですから・・・。
投稿: Shima | 2007/11/04 20:04
Shimaさん
はじめまして。
私も、毎朝走らなくても理由を探してます。それをなんとか乗り越えて走り始めるのですが。しばしば挫折します。
おっしゃるとおり、走れなくなったらちょっと寂しい人生かもしれません。
投稿: 自由なランナー | 2007/11/01 08:01
はじめまして!こんばんわ!わたしも以前はよく走っていましたが、忙しいという言い訳的、堕落的理由で止めてしまいました。以前ある劇団の『走る』(たしか、倉本 聰原作)という演目を見る機会(TVですが)があり、「人間走れなくなったらおしましだ。」のセリフに感化されて走りだしたのを思い出します。これは、肉体的、年齢的限界を指すものではなく、おそらく活動的、精神的なものをいうのでしょう!また、走らなければならなくなりそうです。村上春樹の本買おーっと!
投稿: Shima | 2007/10/31 23:44