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2005/03/16

懐かしい声、帰りたい場所−昭和は遠く

今年は戦後60年だとか。「文藝春秋」の今月号(4月号)で『消えた「昭和」:日本人が失した暮らしと心』と題された特集があります。思わず買ってきました。この特集は、日本人が昭和においてきた、もの、ことについて作家達が、一文を寄せているもの。そのテーマをみると、蚊帳、ちゃぶ台、原っぱなど、どれも今はあまりみかけなかったり、しなくなったりしたことばかりです。昭和30年前半生まれの私でも、懐かしいと思うものがいくつかありました。
焚き火:最近見かけなくなりました。よく石焼き芋を焼いたりしたんです。
ラジオ:ここでいうラジオは、AMラジオですね。昔、我が家では、真空管ラジオがタンスの上にありました。
縁側:どこの家にもあったんですが。我が家も立て直したときに、縁側はなくなりました。それと、雨戸もいまはないです。
給料袋:私が会社にはいったころは、給料袋には現金が入ってました。いつしか給料が振込になり、給料袋だけもらうようになり、うちの会社はちょと前から給料袋もなくなりました。
半ドン:こんな言葉、若い人しらないかも。土曜日、会社は昼までで、帰るときはうれしかった記憶があります。上司とかは、午後から麻雀やりにいってましたね。
社員旅行:温泉に、宴会やりにだけ、いっていた社員旅行。何回もいきましたが、どこへいったか忘れてしまいました。
百科事典:小学校の時、父親が買ってくれましたが、ほとんど使った記憶がないです。
御用聞き:うちは三河屋ではなく、青木屋さんがきてました。あと、お米屋さんもきていたな。

また、この特集では、「懐かしい声、帰りたい場所」という対談も掲載。小沢昭一(俳優)、中野翠(コラムニスト)、坪内祐三(評論家)、世代のことなる3人の対談が、なかなか読ませてくれます。

数あるエッセーの中で、「給料袋」の項を、作詞家の阿久悠さんが書いてます。印象的な一節があるので、引用します。(やや長文)

給料袋様、あなたを追放したのは一体誰なのですか。誰の幸福のためにあなたを排除したのですか。いえ、あなたを責めるのは筋違いですが、今日(こんにち)の日本の家族の荒廃と、親の権威の失墜と、無関係でないと思えるからです。
何しろ、働き手の月に一度の晴れ舞台を奪い、しかも、わが家の財力の正確な認識を子どもたちに持ち得なくしたのですから、あなたの追放は、単なる効率の問題では済まないものなのです。

生きていく上で、ものはなくしても、大切な心はなくしたくないと思いませんか。

☆この「消えた昭和」について書かれているブログ、いくつかにトラックバックさせていただきます。

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コメント

BUBUさん
こんにちは。
懐かしいでしょ。いま、なくなってしまったものが多いですね。
深夜放送といえば、いま話題のニッポン放送の亀淵社長。DJよく聴きました。

投稿: 自由なランナー | 2005/03/18 07:56

ふみふみさん
ご来訪ありがとうございます。
昭和は、日本人が大きく変わっていった時代のような気がします。確かに、いまより貧しかったけど、心は豊かだったと感じますね。
また、お邪魔します。

投稿: 自由なランナー | 2005/03/18 07:48

tantanmenさん
こんにちは。
「泣いてたまるか」は気になってました。子どもの頃、かすかに見た記憶がありますから。
俳優さん、懐かしい面々ですね。買ってみようかな。
TBありがとうございます。

投稿: 自由なランナー | 2005/03/18 07:46

明るい空さん
ご来訪ありがとうございます。
県庁の裏手には、今は空き地など見あたらないですね。赤とんぼ、仙台ではまだいるのかな。
また、ブログにお邪魔します。

投稿: 自由なランナー | 2005/03/18 07:43

あ、これ全部懐かしいです♪
ラジオと言えば、親に隠れて寝たふりをしながらオールナイト・ニッポンを聴いていたものです。
給料袋も、父親が持って帰ってくるたびに、母が「お疲れ様です」と言って受け取っていました。こういうありがたみがないというのも、悲しいですね。

投稿: BUBU | 2005/03/17 06:06

トラックバックとコメント有難うございました。
楽しく読ませていただきました。記事のタイトル、良いですね!
阿久悠氏の給料袋の文はどこかのBlogでも引用されている方を見ました。
本当にこの企画は面白いですよね。
もう少し"昭和"という時代をを体感したかった昭和50年代生まれです^^;

投稿: ふみふみ | 2005/03/16 18:22

先日渥美清の「泣いてたまるか」のDVDを書店で購入し,早速見てみました.東京オリンピックから2~3年後の東京の暮らしが,ドラマの中に写されています.コンクリートの煙突,夕方まで空き地で遊ぶ子供達,道路の脇で井戸端会議のおばさんたち,木造二階建てのアパート.渥美清の他にも藤村有広,京塚昌子,坊屋三郎など在りし日の個性的な俳優が続々顔を出します.ああやっぱりこの頃の日本は貧しかったけれど,元気だったのだなあ,と思ってしまいました.トラックバックさせて頂きます.

投稿: tantanmen | 2005/03/16 16:50

TBありがとうございます。
杜の都に住んでいらっしゃるのですか?
縁戚が多く住む町です。

仙台も私が子供の頃は送り火など道端で火を熾したりも出来ましたし、県庁の裏の空き地では取りきれないぐらいの赤とんぼがいました。

書き込みを拝見しますと、どうやら同じ世代のようですね。よろしければこれからも遊びにいらしてください。私も伺います。

投稿: 明るい空 | 2005/03/16 08:41

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